ミヤノ ケイ
Kei Miyano
宮野 佳 所属 川崎医科大学 医学部 一般教養 自然科学 職種 講師 |
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論文種別 | 原著 |
言語種別 | 日本語 |
査読の有無 | 査読あり |
表題 | ハンガリーの生化学者 |
掲載誌名 | 正式名:川崎医学会誌一般教養篇 |
掲載区分 | 国内 |
巻・号・頁 | 48,1-14頁 |
著者・共著者 | 宮野 佳, 本田 蘭子 |
担当区分 | 筆頭著者,責任著者 |
発行年月 | 2023/02/08 |
概要 | ハンガリーの生化学研究のルーツは,20世紀初頭にまで遡る。ビタミン C を発見したセント=ジェルジ,筋収縮に関わるタンパク質アクチンを発見したシュトラウブ,タンパク質-リガンド相互作用に関する「ゆらぎの適合」の概念を提示したサボルチなど,彼らの発見はどれも生化学の歴史において重要である。ところが,その功績によってノーベル医学生理学賞を受賞したセント=ジェルジを除いて,それ以降のシュトラウブやサボルチの研究成果は,正当な評価が得られているとは言い難い。
こうした研究成果の埋没には,ハンガリーが東欧諸国として20世紀に歩んだ苦難の歴史が背景としてあるのだろう。地政学的にもハンガリーは,20世紀前半には破竹の勢いのあるドイツ,そして後半は共産圏の長として超大国となったソ連との関係性において暗い時代を経験した。本稿では,こうした苦難の時代を過ごした生化学者を,特にシュトラウブに焦点を当てて紹介する。F・ブルノ・シュトラウブは,一人の優れた生化学者として研究成果を残した一方で,共産主 義体制の中で科学の発展や国の未来のために尽力した人物である。その活動の領域は,1989年というハンガリーにとって鉄のカーテンからの夜明けを意味する年には,国家元首を務めるまで広がっていた。本稿では,ハンガリーの近代史を簡潔に振り返りながら,東欧諸国の厳しい時代や,そうした状況下でもそれぞれの道を真摯に貫いた科学者たちの軌跡をたどる。 |